田舎暮らしでやめたこと。僕が捨てた5つの習慣と、手に入れた5つの宝物。

田舎暮らしをはじめて変わったこと&やめたこと10選【田舎移住体験談】 田舎暮らし

コンクリートの匂い、止まることのない電車の音、画面越しのコミュニケーション。ほんの数年前まで、それが僕の日常のすべてでした。

「このままで、僕の人生はいいのだろうか?」

胸の奥でくすぶり続ける小さな問いに気づかないふりをしながら、毎日同じ満員電車に揺られていたあの頃。あなたも、もしかしたら同じような息苦しさを感じているのかもしれません。

こんにちは。伊豆の山の中で、在宅デザイナーとして暮らしているヤリョです。今回は、僕が都会の喧騒を離れ、この静かな土地に移り住んでから、僕の世界がどう変わったのか。そして、何を自ら手放すことにしたのか。そのすべてを、正直にお話ししようと思います。

これは、キラキラした移住成功譚ではありません。もっと泥臭くて、ささやかで、でも僕にとってはかけがえのない、暮らしの変化の記録です。この記事を読み終える頃には、あなたの中に眠る「理想の暮らし」の輪郭が、少しだけはっきりしているかもしれません。

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ヤリョ(ちゅんころもち)

伊豆の別荘地で暮らす30代の在宅デザイナー。妻とのんびり、時に自然の厳しさに揉まれながら暮らしています。そのリアルな日常をYouTubeやブログで発信中。
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30歳からの田舎暮らし
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田舎産物おつまみ音頭 / 伊豆の三賢人

この記事の雰囲気を動画でも

文章を読むのが少し億劫な方は、動画で暮らしの空気感を感じてみてください。鳥のさえずりや風の音が、文章だけでは伝わらない何かを届けてくれるかもしれません。

第一章:僕が手に入れた、5つの宝物

まずは、この土地に来てから僕の中に芽生え、育っていった新しい価値観や習慣についてお話しします。それはまるで、今まで閉じていた感覚が、ゆっくりと開いていくような体験でした。

1. 身体が喜ぶ食事と、向き合う時間

東京にいた頃の僕の食生活は、今思えば悲惨なものでした。朝はコンビニのパンをかじり、昼は500円のランチを急いでかきこむ。夜は疲れ果てて、スーパーの惣菜か、外食で済ませる。そんな毎日でした。

「食事は、空腹を満たすための作業」。いつしか、そう思うようになっていました。

伊豆での暮らしは、その価値観を根底から覆しました。家の前の海で釣ってきたアジを、その日のうちに塩焼きにする。庭の片隅で育てたトマトを収穫し、瑞々しいサラダにする。ご近所さんからお裾分けしてもらった採れたてのタケノコを、灰汁抜きから丁寧に調理する。

一つ一つの食材に物語があり、自分の手が加わることで、食事が「作業」から「創造」へと変わっていったのです。

もちろん、毎日がそんな丁寧な暮らしというわけではありません。でも、「今日の夕飯、どうしようか?」と考えたとき、頭に浮かぶ選択肢が劇的に変わりました。スーパーやコンビニではなく、まず家の前の畑や、冷凍庫の中身を思い浮かべるようになったのです。

この変化は、僕の身体にも心にも、確かな影響を与えてくれました。外食や加工食品が減り、旬のものを食べるようになったことで、体は軽くなり、肌の調子も良くなった気がします。何より、料理という行為そのものが、日々のストレスをリセットしてくれる大切な時間になりました。

東京での食生活伊豆での食生活
主な食材コンビニ、スーパーの加工品、外食自分で釣った魚、育てた野菜、道の駅の新鮮な食材
調理時間平均15分(または0分)平均60分以上
食事の目的空腹を満たす「作業」旬を味わい、命をいただく「体験」
食費高かった(特に外食費)下がった(自給率が上がり、食材費が減少)

フリーランスという働き方で、時間に融通が利くようになったことも大きな要因です。魚を捌いたり、ハーブを乾燥させたり。そんな、都会では「面倒」でしかなかったことが、ここでは最高の贅沢に感じられるのです。

2. 野生の隣人たちとの、絶妙な距離感

移住して間もない頃、家の庭を悠然と横切る鹿の群れを見たときは、思わず息を呑みました。夜中にガサガサと物音がして、懐中電灯で照らすと、そこにいたのは丸々と太ったアナグマ。その度に、都会育ちの僕たちは大騒ぎしていました。

「ここは、本当に日本なのか?」と。

今では、その感覚もずいぶんと変わりました。鹿は日常の風景の一部になり、アナグマの足跡を見つけても「ああ、また来たな」と微笑むくらいです。今でも僕の心を躍らせるのは、七色に輝く羽を持つキジとの遭遇です。あの美しさは、何度見ても飽きることがありません。

もちろん、歓迎できない隣人もいます。虫です。

正直に告白すると、僕は今でも虫が心の底から苦手です。特に、ムカデや蜂、得体の知れない大きな蛾が家の中に侵入してきたときは、静かな山中に僕の悲鳴が響き渡ります。ですが、不思議なもので、人間は慣れる生き物です。

以前は小さなクモが出ただけでパニックに陥っていましたが、今では「家の中の小さな虫を食べてくれる益虫だ」と自分に言い聞かせ、そっとティッシュで捕まえて外に逃がすくらいの冷静さを身につけました。これは僕にとって、革命的な成長です。

彼ら(野生動物や虫)の存在は、「この自然は人間だけのものではない」という、当たり前だけれど忘れがちな事実を、毎日僕に教えてくれます。彼らのテリトリーに、僕たちがお邪魔させてもらっている。その感覚が、僕の傲慢さを少しだけ削ぎ落としてくれたように思います。

3. 「不便さ」が教えてくれた、計画する楽しみ

東京にいた頃、お店の営業時間を気にしたことなど、ほとんどありませんでした。24時間営業のコンビニ、深夜まで開いているスーパーやレストラン。欲しいものは、いつでも手に入るのが当たり前でした。

田舎では、その常識は通用しません。

個人商店は17時に閉まり、日曜定休のガソリンスタンドもあります。一番堪えるのは、Googleマップの情報が全くあてにならないことです。「営業中」と表示されているのに、シャッターが固く閉ざされている絶望感。何度も経験しました。

この「不便さ」は、僕の行動様式を大きく変えました。出かける前には必ず公式サイトを確認するか、電話で営業しているか問い合わせる。買い出しは、複数の店を効率よく回れるように、ルートとリストを事前に作成する。一つ一つの行動に、「計画」というプロセスが加わったのです。

最初は面倒だと感じていたこの習慣が、今では一種のゲームのように楽しくもあります。無駄足を踏まなかった時の達成感は、なかなかのものです。都会の「いつでも手に入る」という便利さは、僕から「考える力」や「工夫する楽しみ」を奪っていたのかもしれない、とさえ思います。

4. 物流への感謝と、賢い買い物術

店が少ない、営業時間が短い。そんな環境で僕たちの生活を支えてくれているのが、インターネットショッピングです。

衣類、家電、雑貨、本…生活に必要なものの多くを、僕たちはネットで購入しています。特に驚くべきは、そのスピードです。伊豆の、それも山の中にあるこの家まで、Amazonの商品は注文した翌日に届くことがほとんどなのです。

玄関先で荷物を受け取るたびに、僕は配達員の方々に心からの感謝を覚えずにはいられません。この複雑な物流システムが、どれだけ多くの人々の労働によって支えられているのか。都会にいる頃は、そのありがたみを本当の意味で理解していませんでした。

買い物の種類主な購入場所選ぶ理由
生鮮食品道の駅、直売所、スーパー鮮度と安さ。生産者の顔が見える安心感。
日用品ホームセンター、ドラッグストア実物を見て、必要な分だけ購入するため。
衣類・家電・専門品インターネット通販品揃えの豊富さ。店舗に行く時間と労力の節約。

大きなショッピングモールに行くと、人の多さと情報の洪水に、すぐに疲れてしまう僕にとって、家でじっくりと商品を選べるネットショッピングは、心穏やかな暮らしに欠かせないツールです。田舎暮らしは不便、というステレオタイプは、この物流革命によって過去のものになりつつあるのかもしれません。

5. 「買う」から「作る」へ。創造する喜びの発見

田舎暮らしが僕に与えてくれた最も大きな変化は、思考の転換かもしれません。

「これは、自分で作れないだろうか?」

何かが必要になったとき、まずそう考えるようになりました。例えば、スーパーで売っている小瓶に入った乾燥バジル。以前なら何も考えずにカゴに入れていたでしょう。でも今は、「庭のバジルを収穫して、乾燥させればいいじゃないか」と思います。

ミントを育ててハーブティーを淹れ、レモンを収穫してはちみつ漬けにする。梅が実れば梅酒を仕込み、カリンが採れれば喉に良いカリン酒を作る。風邪薬代わりにしようと仕込んだカリン酒ですが、不思議なことに、移住してから一度も本格的な風邪をひいていません。健康的な生活のおかげでしょうか。

もちろん、すべてを自給自足できるわけではありません。時間も手間もかかります。でも、自分の手で何かを生み出すプロセスは、お金でモノを買うことでは決して得られない、深い満足感を僕に与えてくれます。それは、消費者として生きてきた僕が、小さな生産者へと変わっていく第一歩なのかもしれません。

この「作る」という行為は、僕の生活にリズムと季節感を取り戻してくれました。春には何を植えようかと考え、夏には雑草と戦い、秋には収穫の喜びに浸り、冬には来年の計画を立てる。自然のサイクルに自分の暮らしを重ね合わせることの豊かさを、僕は今、全身で感じています。

第二章:僕が手放した、5つの習慣

新しい価値観を得る一方で、僕は多くのものを意識的に手放してきました。それは、まるで重い鎧を一枚ずつ脱いでいくような、身も心も軽くなるプロセスでした。

1. 「ピッ」で終わる毎日(Suicaの利用)

東京では、財布から現金を取り出すことはほとんどありませんでした。電車も、コンビニも、自販機も、すべてSuica一枚。あの「ピッ」という軽快な音は、都会のスピード感の象徴だったように思います。

ここ伊豆では、その習慣は通用しませんでした。家の最寄り駅である修善寺を通る伊豆箱根鉄道は、Suica非対応。伊豆縦貫道という主要な有料道路も、ETCではなく現金手渡し。移住してすぐに、僕の財布からSuicaは姿を消しました。

現金を使う生活は、お金との距離感を縮めてくれました。一枚一枚のお札、一枚一枚の硬貨に重みを感じ、自分が何に価値を見出してお金を使っているのかを、より意識するようになったのです。キャッシュレスのスマートさも良いですが、この少し不便で人間らしいやり取りが、今の僕にはしっくりきています。

2. 他人の目を気にした靴(ヒールを履くこと)

妻の話になりますが、彼女の靴箱も大きく様変わりしました。都会で働いていた頃は、様々なデザインのヒールが並んでいましたが、そのほとんどを処分しました。

理由は単純明快。ヒールで歩けるような舗装された道ばかりではないし、何より、在宅ワーク中心の生活では、お洒落をして出かける機会が激減したからです。

今の彼女の足元は、もっぱらスニーカーかサンダル。土の感触、草の柔らかさを直接感じられる靴が、この土地では一番心地よいのです。

これは単にファッションの変化ではありません。「誰かのため」ではなく「自分のため」に、心地よさを最優先する、という価値観の変化の表れなのだと思います。見栄や体裁のために我慢することを、僕たちはやめたのです。

3. 眠らない街の喧騒(夜遊び)

近所に、夜遅くまで遊べる場所はありません。一番近い居酒屋でも、車で20分はかかります。必然的に、夜間に出かけることはほとんどなくなりました。

東京にいた頃は、仕事終わりに同僚と飲みに行き、終電間際に帰宅する日も珍しくありませんでした。それが今は、夫婦で食卓を囲み、庭で採れたハーブティーを飲みながら語らう。そんな静かな夜が日常です。

自然と、眠りにつく時間も早くなりました。23時には布団に入り、朝は鳥の声と共に5時か6時には目が覚める。1日が、とても長くなったように感じます。朝の澄んだ空気の中で、頭が冴え渡る感覚。この時間を手に入れたことは、夜の刺激的な時間と引き換えにしても、余りあるほどの価値がありました。

たまに友人が遊びに来て、外で飲む機会もあります。その非日常感が、以前よりもずっと新鮮で、楽しく感じられるようになりました。

4. 垂れ流される情報(テレビの視聴)

これは意図したわけではないのですが、移住してから2年以上、我が家では地上波のテレビが映りませんでした。アンテナが壊れていたのが原因です。

その結果、僕の生活から「なんとなくテレビを観る」という時間が消えました。

芸能人のゴシップ、興味のないコメンテーターの意見、繰り返し報道される事件のニュース。そういった、自分では選んでいない情報が、無意識のうちに僕の思考や感情をざわつかせていたことに、テレビを観なくなって初めて気づきました。

情報から完全に断絶されたわけではありません。必要なニュースはネットで能動的に調べますし、観たいドラマや映画はTVerやAmazon Prime Videoを利用しています。重要なのは、「受動的」から「能動的」に情報との付き合い方を変えたことです。

この「情報のデトックス」は、僕の精神衛生に驚くほど良い影響を与えました。他人の価値観に振り回されることが減り、自分の頭で物事を考える時間が増えたのです。最近、小さなアンテナを手に入れて地デジが観られる環境にはなりましたが、ゴルフのメジャー大会を観る以外、ほとんど電源を入れることはありません。

5. 過剰な警戒心(毎回の施錠)

都会に住んでいた頃は、考えられないことでした。ゴミ出しのような、ほんの数十秒家を空けるときでさえ、必ず鍵をかけていました。それが当たり前の防犯意識だと思っていました。

しかし、この静かな別荘地では、その習慣が驚くほど薄れてしまいました。ちょっとした買い物に出かけるとき、庭仕事に夢中になっているとき、甚至は夜眠るときでさえ、鍵をかけ忘れていることがあります。窓を開けっ放しで寝てしまうことも、一度や二度ではありません。

もちろん、これは決して推奨されることではありませんし、もう少し気を引き締めなければと思っています。ただ、この油断は、僕の心がこの土地の穏やかな空気に、どれだけ解きほぐされているかの証左でもあるのです。

常に誰かを警戒し、疑うことから始まる都会の人間関係。それとは対照的な、性善説に基づいているかのような、この場所の空気。鍵をかけるという物理的な行為が減ったことは、僕の心の中から、他人に対する見えない壁を取り払ってくれたのかもしれません。

さいごに:失ったのではなく、選んだのだと

ここまで、僕が田舎暮らしで「変わったこと」と「やめたこと」を、それぞれ5つずつお話ししてきました。

こうして書き出してみると、「やめたこと」の多くは、都会の生活では当たり前だった利便性や刺激、そして安全神話のようなものだったことに気づきます。それらを手放したことで、僕は不便になったのでしょうか? 退屈になったのでしょうか?

答えは、明確に「ノー」です。

僕たちは、何かを失ったのではありません。自らの意思で、自分たちにとって本当に価値のあるものを「選んだ」のです。

Suicaの利便性の代わりに、お金の価値と向き合う時間を選んだ。
ヒールの代わりに、大地を踏みしめる心地よさを選んだ。
夜の喧騒の代わりに、朝の静寂と創造的な時間を選んだ。
受動的な情報の代わりに、自分の頭で考える平穏を選んだ。
過剰な警戒心の代わりに、人を信じる穏やかな心を選んだ。

もし、あなたが今の暮らしに少しでも息苦しさを感じているのなら、一度立ち止まって考えてみてください。あなたが本当に大切にしたいものは何なのか。そのために、手放せるものは何なのか。

その答えは、必ずしも「田舎への移住」ではないかもしれません。でも、自分の価値観で暮らしを再構築していく、その第一歩になるはずです。

僕のこのささやかな体験談が、あなたの人生という物語の、新たな一ページをめくるきっかけになれたら、これほど嬉しいことはありません。

僕たちの暮らしの、さらに深い部分に興味を持ってくださった方は、僕が綴った電子書籍も手に取ってみてください。このブログでは語りきれない、季節の移ろいや日々の気づきを詰め込んでいます。

田舎暮らしに関するよくある質問(FAQ)

田舎暮らしを始めるのに、初期費用はどれくらいかかりましたか?

一概には言えませんが、僕たちの場合は中古の別荘を購入したため、物件価格+リフォーム費用+諸経費で数百万単位の資金が必要でした。賃貸から始める、DIYでコストを抑えるなど、選択肢によって大きく変動します。大切なのは、移住後の生活費(特に仕事が安定するまで)の運転資金を、余裕をもって準備しておくことだと思います。

在宅デザイナーの仕事だけで、生活は成り立ちますか?

はい、僕の場合は幸いなことに成り立っています。移住前からフリーランスとして活動しており、既存のクライアント様との関係を継続できたのが大きいです。田舎で新しく仕事を始める場合は、リモートワークが可能な職種を選ぶか、地域に根差した仕事(農業、観光業、福祉など)を探すことになります。収入は都会時代より減りましたが、支出も大幅に減ったため、今のところバランスは取れています。

ご近所付き合いは、やはり大変なのでしょうか?

これは住む地域によるとしか言えません。僕たちが住む別荘地は、移住者や別荘利用者が多く、比較的ドライな関係性を保ちやすいです。それでも、地域の草刈りなどの共同作業には参加しますし、ご近所さんと顔を合わせれば挨拶や世間話をします。野菜のお裾分けをいただいたり、困ったときには助けてもらったり。都会の希薄な人間関係にはなかった、温かさを感じることの方が多いです。

虫が本当に苦手なのですが、何か決定的な対策はありますか?

残念ながら、「虫が出なくなる」という魔法のような対策はありません。ですが、軽減することは可能です。家の隙間を徹底的に塞ぐ、網戸をしっかり閉める、虫が嫌うハーブを窓際に植える、信頼できる殺虫剤を常備するなど、地道な対策の積み重ねです。一番の対策は、先述した通り「慣れる」ことかもしれません。少しずつ、共存の道を探っていくしかない、というのが僕の現時点での結論です。

正直なところ、都会の便利さや刺激が恋しくなることはありませんか?

全くないと言えば嘘になります。最新の映画を大きなスクリーンで観たいなとか、ふらっと美術館に行きたいなと思うことはあります。でも、それは「恋しい」というより、たまに味わいたい「非日常」という感覚に近いです。今の僕にとっての日常は、鳥の声で目覚め、土をいじり、静かな夜を過ごすこの暮らし。たまに都会に出かけると、そのコントラストで両方の良さを再確認できます。僕にとっては、今のこのバランスが最適解だと感じています。

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