リアルすぎるアニメーションは必要?写実主義を求めるなら、人間が演じればいい。【アニメの話~『スローライフとお金のちょうどいい距離間』より】

田舎暮らし

※この話は『スローライフとお金のちょうどいい距離間』に収録されています。

アニメの話

最近のアニメーションは、異様なほどリアルに作られている。髪の質感や皮膚の毛穴まで、現実と見紛うばかりだ。

ここまでのリアルさは、本当に必要なのだろうか。

赤毛のアンが現代アニメーションを見たら、たぶんこう言う。

「想像の余地がないわ」と。

アニメーションの良さは主観を入れやすいところにあると、僕は思う。写実主義を求めるなら、人間が演じればいいではないか。

どうにも「制作会社が自分たちのCG技術を誇示したいがため」という気がしてならない。

『必要は発明の母』という言葉の通り「こんなものがあったらいいな」いう発想は、僕たちの世界を便利にしてくれた。例えば「洗濯を自動でしてくれる機械があったらな」という想いは、洗濯機の発明に繋がった。今じゃ、洗濯機の無い世界なんて想像できない。

本当に便利な世の中になった。ありがたいことだ。

でも、もう充分じゃないだろうか。

これ以上、何か必要だろうか。

この世界のどこかで「テレビをあと5ミリ薄くしてくれれば、部屋がもっと広くなるのになぁ」なんて不満を漏らしている誰かがいるのだろうか。

僕には、とても信じられない。確かに、いまだにブラウン管テレビじゃあ圧迫感を感じるかもしれない。けれど今のテレビは、もう、充分に薄い。ダイエットをし過ぎて、ぜい肉のない女性を見たときのような不安感さえある。

なんだか、世界はとっくに満ち足りているのに無理やり「必要」を作り出そうとしているように見える。

もう充分完成されたモノに、ほんの些細な差を付け加え、

「他社とは、大きく違います。」

「従来品とは、別物です。」

などと、大袈裟に宣伝してくる。まるで、それを買えば、生活が大きく変わるかのようなテレビCMに誰もが洗脳されてしまう。無論その宣伝コストは、料金に上乗せされているにもかかわらず。

今の市場は、こんなカラクリじゃなかろうか。

だけど資本主義という生き方を選択した以上、足止めはできない。成長を止めることは許されないのだ。

仕方がない。

目を血走らせて、新しい商品を開発しよう。必要なものなんて、もう何もないけれど。

ヤリョによる解説

ポコポコと世に出続ける新商品は、どんどん便利になっているようで、本質の部分はほとんど変わっていないことに気付く。

それどころか、消費者のニーズを追い越して「新機能」が追加されていく。

ありがた迷惑な機能ばかりだ。

もっとシンプルなものを求めているのに。

暴走特急資本主義号よ、お願いだから一度止まってくれ。

そんな思いから、この話を書いた。

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『スローライフとお金のちょうどいい距離間: 資本主義の木陰で』には、全14話が収録されています。

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