バナナは昔、高かった?「価値」とはいったいなんだろう。【バナナの話~『スローライフとお金のちょうどいい距離間』より】

田舎暮らし

※この話は『スローライフとお金のちょうどいい距離間: 資本主義の木陰で』に収録されています。

バナナの話

僕は誇り高き日本人として、朝食は基本的に米を食うようにしている。

けれども蒸し暑い夏の朝は、如何せん米が喉を通りにくい。そんな時は誇りを捨てて、コーンフレークを食べるようにしている。

コーンフレークだけでは味気ないので、バナナを添える。

「バナナは、栄養価が高い」などということにあまり関心はないが、甘さが牛乳によく合うからバナナは好きだ。

こんなに美味いのに一房100円くらいで売っている。コンビニやドラッグストアで買っても、せいぜい150円くらい。バナナというのは本当に、安くて身近な果物である。

だけど、ご年配の方にとってはそうでもないらしい。

何でも昔は輸入規制が敷かれており、バナナはいくぶん高級品だったようだ。

そう考えてみると「価値」というのは、ずいぶん曖昧なものである。どれだけ美味いか、どれだけ栄養が豊富か、などという基準によって決められているわけではない。

品種改良がなされて、ご年配の方がありがたがって食べていた頃より、今売られているバナナは各段に美味くなっているだろう。それでも輸入規制が無くなり、大量栽培されるようになると価値が一気に下がった。

消費者としては、こんなに有り難いことはない。

だけど、バナナの身になってみれば複雑な心境だ。どんなに優秀なバナナになろうとも、周りも同じように優秀なバナナで溢れかえれば価値を失ってしまう。

価値とは、いったい何なのだろう。

誰かが決めた「価値」というものに惑わされて、僕は生きてきたのかもしれない。

なんだか就職活動の記憶が蘇ってきて、コーンフレークも喉に通らなくなってきた。

皿に残ったコーンフレークは牛乳を吸いきり、ブヨブヨになっていた。

ヤリョによる解説

子供の時はメロンをもらってもバナナをもらっても、同じように喜べた。

でも大人になると、「今はバナナの方が食べたいけど、メロンの方が高いから、メロンをもらった方がお得だなぁ」なんて心のどこかで考えてしまう。

いつの間にか『価値』というフィルターが、僕の中にできていたようだ。

そして、僕自身も人から価値判断されて生きてきた。

資本主義社会から少し離れて大自然と向き合って生きていると、「価値」なんてあまり意味のないことに気付く。

手塩にかけて育てた野菜たちは、市場価値とは関係なく愛おしい。

そんな思いから、この話を書いた。

『スローライフとお金のちょうどいい距離間』はAmazonで販売中

『スローライフとお金のちょうどいい距離間: 資本主義の木陰で』には、全14話が収録されています。

その他のヤリョの作品


失敗しないための
『田舎仕事』図鑑


田舎でノマド
好きな場所で1日4時間だけ働く


若いうちこそ田舎暮らし、
年を取ったら都会暮らし。

※書籍をクリックすると、
Amazonのサイトに移行します

コメント

タイトルとURLをコピーしました